念願の「ウォシュレット」発売。でも・・・・・・

発売当時のウォシュレット
1980年、発売当時のウォシュレット

こうして試行錯誤が繰り返され、1980年、温水洗浄装置つき便座「ウォシュレット」が販売されました。でもこの後、大きな問題が発生したのです。

全国で販売が始まってから3ヵ月後、ウォシュレットの温度制御システムが故障し、温水が突然冷たい水に変わるというクレームがつき、会社の廊下には、返品されてきたウォシュレットの山ができていました。故障原因は、わからないままでした。

その年の暮れ。まだまだ返品の山は増え続け、ストレスから円形脱毛症になるスタッフもいるほどでした。開発者としての責任を深く感じながら不具合の原因を究明した結果、38度の湯温を維持するために、1日1500回のオン・オフ信号がICからヒーターに伝えられ、その都度、電熱線が収縮を繰り返したことで金属疲労を起こし、ヒーターの電熱線が真っ二つに切れていたことがわかりました。

電熱線を交換するため、メンバーは総出で、不具合のあった全国のお宅を回りました。ときには製品を買った人から、罵声を浴びせられることもあったそうです。

その後、開発スタッフは、新型ヒーターの開発に打ち込みました。アルミの電熱線をステンレスに換え、さらに断線を防ぐため太くしたところ、連続3000時間、38度のお湯を出し続けられるものができました。やっとのことで、改良商品が完成したのです。

商品は完成。 となると次は、いかに商品の宣伝をするかが問題です。すでに10年前、雑誌と新聞からは、掲載を拒否されていました・・・・・・。

雑誌、新聞がだめなら、テレビCM!

プレゼンシーン
スタッフは必死で商品をアピールしました(写真はイメージです)

新しい商品のコピーは、当時、ウォークマンやウィスキーの商品コピーの生みの親、天才コピーライターと言われていた仲畑貴志氏に依頼することになりました。

昭和56年12月。開発スタッフは仲畑氏を訪問し、引き受けて欲しいと商品説明を始めました。しかし、仲畑氏は、「商品価値がピンときません」と一言。それまで一番長い時間、トイレで実験を続けてきたスタッフがその場で立ち上がり、青い絵の具を自分の手の平に塗りつけて、仲畑氏にこう言いました。「この絵の具を紙で拭いてください」と。仲畑氏が紙を使ってその絵の具を拭きますが、汚れは落ちません。スタッフは、「お尻だって同じです。水で洗えば、キレイになります。常識への戦いなんです」と必死にアピールしたそうです。

仲畑氏は、実は、工業高校で旋盤に向かい、技術者を目指した日々があったので、この技術者の熱い思いが、心に響いたのでしょう。「地に足がついた技術で作られた商品ですね。担当させてください」と、この仕事を引き受けることを決めたといいます。

 

 

 

 

ついに「あの」CM放送が
テレビで流れた

CM放映
CMは、あえて食事時を狙って放映されました

4ヵ月後のコピー発表の日。仲畑がみんなに見せたコピーは、「お尻だって、洗ってほしい」でした。当時、あれだけ新聞や雑誌に掲載を断られた、タブーのはずの「おしり」の3文字がそこに並んでいたことに、一同は驚くと同時に感激し、言葉を失いました。

仲畑氏は、「これは、ソニーのウォークマンやニコンのカメラなどの商品に負けない技術です。堂々と勝負しましょう」と話し、スタッフは、それまでの苦労が報われた!と初めて思えたそうです。

初めてのCM放送の時間は、あえて一家団欒、食事の時間の夜7時台になりました。「おしりだって洗って欲しい」という当時としては衝撃的なCMが流れた直後、宣伝課に「飯を食っている時間に、便所の宣伝とは何ごとだ!」という激しい抗議の電話が殺到したといいます。スタッフは、電話をかけてきた人に「皆さんは、今食事をされています。それと同じくらい排泄も尊い行為です。暮らしを快適にする商品です。自信と誇りを持って作っています」と丁寧に話しました。それから1ヶ月後には、CMに関するクレームの電話はゼロになりました。

以下動画

 

今や日本の家庭の6割に設置

その後は、全国から注文が殺到し、10万台を超える大ヒット商品となりました。温水洗浄便座の開発から22年が経ちましたが、現在では、日本の家庭の6割に取り付けられるようになりました。あれほど「不浄」と忌み嫌われ、日陰の存在だったトイレが、いまや家電売り場に置かれるようになったのです。

 

 

いやほんとに開発者の熱い思いが、わかりますよね。

 

これからはもっとエコになるもようですから、バイオ関係もまた調べたいと思います。

 

参考サイト:http://allabout.co.jp/gm/gc/42491/